あれは−keen−の強化合宿、2日目の早朝に起こった・・・。

トントントン
規則正しい音がキッチンに響いている。きゅうりを輪切りにしていた英知の手が止ま
る。
「お早うございます。早いですね。」
後ろを振り向くとモノクルを掛けていないラフな格好をした棗が立っていた。
「おはよvご主人vv」
棗は朝から満面の笑顔で挨拶を返す。英知はそれを聞いて淡く微笑すると視線を再び
まな板の上に戻した。
「起きているのは、棗だけですか?」
「んー?わかんねぇ。那緒なら起きてるかも?」
英知の問いかけに興味を示していないふうに適当に答え、棗はソファーに腰掛けた。
英知は一つ溜め息を吐いて包丁を動かした。
「もうすぐ朝食が出来上がるので皆を起こして来てくれませんか?」
英知が後ろを向かずに棗に声をかける。棗は立ち上がると英知の後ろに来て腰を抱き
寄せた。
「・・・俺は皆を起こして来てくださいって言ったんですが?」
英知は棗を振り返って僅かに口元を引きつらせつつ微笑した。棗は少し眉尻を下げて
英知を見つめる。
「だぁって俺はご主人と一緒にいたいし。」
「煩いっ!早く行って来なさい!!」
英知は棗を傍に置いてあった厚さ5cm程の洋書で殴るとキッチンから追い出した。
棗は締め出されたドアを恨めしそうに見つめた後仕方なく立ち上がるとズボンを軽く
叩くと体の向きを変えた。
歩を進めつつ思案に暮れる。

〜那緒は起きてる・・・かな・・・?ていうか人に寝顔見せない奴だから行かない方
がいいだろうな。凪は・・・多分、那緒の部屋だろうな。〜

棗は顎に軽く指を宛がうと口端を上げた。
「ということは・・・残るは遼だけ・・・か・・・。」
小さく呟くと歩幅を僅かに広げて颯爽と歩き出した。いつの間にか顔がにやけてい
る。
「遼かぁ〜。絶対可愛いだろうなぁ・・・vv」
ハタから見ると只の変態親父である。ニヤニヤと頬を緩ませたまま廊下を行く。
遼の部屋の前で足をとめ、ノックをする。しかし、返答はない。やはりまだ寝ている
ようだ。
ドアを静かに開けて体を中に滑り込ませ、ドアを後ろ手に閉める。それからゆっくり
とした足取りで遼の眠っているであろうベッドに近づいた。

見るとまだ穏やかな寝息をたてている遼がベッドにはいた。髪を結っていないせいか
普段よりも色っぽく見える。

まぁ、ご主人には敵わないけどなvv

なんて心の中で惚気を呟きつつ遼の頬に指を滑らせた。
「・・・んぅ・・・。」
遼は小さく声を漏らし、寝返りを打った。棗はフッと口端を上げ、遼の体を揺さぶっ
た。
「おい、遼。起きろよ。ご主人の朝メシが待ってるぞ!」
しかし、声を掛けられた遼は僅かに眉を顰め身じろぎをするだけで目を開けようとは
しない。

棗は悪戯心が芽生え、遼の顎を長い指で軽く上げた。
「起きないなら・・・キスしちゃうぞv」
楽しそうに笑みを深くしながら棗は遼の耳元で囁く。
と、遼がガバリと起き上がった。
「お、残念〜♪・・・遼?」
棗は一瞬目を見張った。自分の目の前にいたのは遼だったはずだ。いつも通りの。し
かし、今目前にいるのはいつもの遼ではない。

遼はうつぶせの状態で胸から上だけを上げて肘で支えたまま剣呑な目つきで棗を射抜
いている。
顔にかかる後ろ髪を鬱陶しげに掻き揚げ、地を這うような声音で棗に毒を吐く。
「あ゛ぁ゛?誰だテメー。何カッテに入って来てんだ、ボケ。喰うぞ?」
それを聞いた瞬間棗は音を立てて凍りついた。

いつもの可愛らしい遼は何処だ!?

しかし次の瞬間、遼は普通に戻っていた。
「あれぇ?棗?どーして此処にいんの?」
棗は泣きたいやら嬉しいやらで混乱しつつ遼を幼子を包むがごとく抱き込んだ。
「うわゎっ!?ちょっとどうしたの?棗。何か変だよ?棗〜?」

遼の言葉など耳に入らない棗は心の中で泣きつつ、心の底から遼の両親に感謝した。


『本当―――っに気まぐれとはいえ、遼を女として育ててくれてありがとうございま
すっっ!!』

遼は訳が分からぬまま棗の腕の中で小首を傾げた。
『俺、何かしたっけ・・・?』

このことがあって以来、頑として遼を起こしに行こうとはしない棗の姿が見られたと
か・・・。


触らぬ遼に祟りなし・・・?